メッセージ

  • 一つひとつの
    お産がつながり、
    命がつながっていく

    青木産婦人科80周年を迎えて

    院長 青木宏明

    青木産婦人科は、2021年8月に80周年を迎えます。80周年といっても自分が院長になってからはまだ2年。先々代、先代の院長が努めてきた年月には遠く及びません。「太平洋戦争が始まる前に開院した」という話を聞くと途方もなく感じますし、80年もの長い年月、数多くのお産に携わってきた先々代、先代に畏敬の念すら覚えます。

    1. また2021年は、自分が医師になって20年という節目の年でもあります。医師を志してから、ほとんど迷うことなく産婦人科医の道を選び、中でもお産に関わる産科を専門分野として学んできました。それも、私が子どもの頃から、この下高井戸の地で医師として奮闘する、父の後ろ姿を見てきたからかもしれません。

    2. 大学病院や周産期センターで働いている頃は、ハイリスクな分娩に立ち会うことも多くありました。一方で、リスクのない正常分娩にも必ずドラマがあり、ひとつとして同じ分娩はないのです。

    3. 2019年に院長となってからは、大学病院にいる頃よりも、一つひとつのお産にじっくり向き合えるようになりました。お産を迎える妊婦さんに、いかによりよい関わり方ができるか。これまでの経験も活かしつつ、日々考えながら診療を行っています。

    4. 青木産婦人科で診療をしていると、「私はここで産まれました」という妊婦さんによくお会いします。さらに詳しく話を聞いてみると、「(私の)お母さんもここで産まれました」ということもしばしば。先々代、先代の院長が関わった一つひとつのお産がつながり、まさに命がつながっていることを実感する瞬間です。

    5. 私はまだ、3代目院長として歩き始めたばかり。100周年に向かってというと恐れ多いのですが、これからも一つひとつのお産、一人ひとりの妊婦さんを大切にしながら、ここ青木産婦人科で命をつなげていきたいと思っています。

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  • 出産と真摯に向き合い、
    出産後も
    寄り添い続ける

    青木産婦人科の歴史

    理事長 青木基彰

    青木産婦人科医院が産声を上げたのは、1941年(昭和16年)8月18日のことである。
    何を隠そうその19日前、1941年7月30日に私(2代目院長・基彰)が産まれており、開業前の忙しい最中、さぞてんやわんやしたことだろう。しかもその4ヶ月後には真珠湾攻撃が行われ、太平洋戦争が始まっている。いったいどうやって、この大変な時期を乗り越えたのだろうか、父・母の苦労が目に浮かぶ。しかし、この苦労があったからこそ青木産婦人科が出帆できたのだと思うと、感謝に堪えない。

    1. 開業当時の本院

      1966年(昭和41年)3月、私は無事日本医科大学を卒業し、迷うことなく産婦人科医の道を歩み出した。その後、数ヶ所の病院で経験を積み、最終的には世田谷線上町にあった都立母子保健院産婦人科医長に就任、近隣地域の方々とも顔なじみになり、1980年(昭和55年)父の跡を継ぎ二代目院長となった。

    2. 以後は、大病院とは異なり、患者さん一人ひとりと心のつながりをもち、アットホームな雰囲気の病院となるべく努力してきた。これには、現師長・古清水さんの存在が大きい。もう勤続34年にもなるが、常に出産と真摯に向き合い、産まれるまで何時間でも産婦さんの傍に寄り添い、励ましてくれた。長いときには、産まれるまで三日三晩かかったこともあった。

    3. 当時は「産院は分娩までで、産まれたら終わり」というのが一般的だったが、退院後も気兼ねなく遊びに来られるように門戸を開いた。退院したお母さん方に声をかけ、赤ちゃんと一緒に病院に集まってもらい、保育士の資格を持つ糸原さんが中心となり、一緒に離乳食をつくったり、公園に遊びに行ったり、お母さんが孤独にならないよう話し合いをもち、育児ノイローゼにならないように気を配った。

    4. 妻も三度の食事には気をつかい、患者さんの嗜好に合わせたメニューを考え、常に温かいご飯を出すよう心がけていた。そうしたスタッフ全員の気持ちが通じたのか、2015年(平成27年)には厚生労働大臣より「産科医療功労者」として表彰を受けた。これは一年に一度、各都道府県からひとりだけ選ばれる、産科医にとっては非常に名誉な賞である。これを私の産婦人科医としての集大成と考え、以後は三代目に託そうと決意した。

    5. 2018年には、病院の建て直しという大事業を迎えるのだが……だいぶ長くなってしまったので、ここで筆を置くこととしたい。

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  • うれしそうな
    お母さんの笑顔が
    支えに

    青木産婦人科の歴史

    師長 古清水よし江

    私が青木産婦人科に入職したのは、1988年(昭和63年)5月の連休が明けた頃のことでした。助産師の資格を取るために東京に出て、現理事長が院長の頃から住み込みで働き、助産師学校に通いながら分娩のお手伝いもしました。その後、無事に助産師の資格を取り、多く出産に立ち会い、あっという間に30年以上の月日が流れました。

    1. 当時は助産師がひとりだったため、出産で夜中に呼ばれたときは、いつも自宅まで車で迎えに来てもらい、とり終えて再び、車で自宅まで送ってもらう日々。疲れることもありましたが、うれしそうなお母さんたちの笑顔が支えとなり、楽しく仕事を続けることができました。

    2. 前院長をはじめ、青木産婦人科にはいつも家庭的な雰囲気が漂っていて、患者さまとも親しくお付き合いさせていただきました。そのかいもあって、ここで出産するのは2代目、3代目という方も多くいらっしゃいます。

    3. 2019年にリニューアルオープンしてからも、現院長のもとで働き続けられていることに、とても感謝をしています。これからも若いスタッフ、院長先生とともに、末長く青木産婦人科を盛り立てていきたいと思います。

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撮影イベント

2021年7月10,11日、80周年を記念した撮影イベントを行いました。当院でお産された約35組のご家族が参加。当日は、お子様の成長した姿も見ることができ、当院スタッフも含めて、賑やかで楽しい時間を過ごしました。

撮影:出張撮影バロンフォトワーク

プロとして撮影経験豊富なカメラマンは全員が子育て中のママ。ベビー、子どもの撮影に定評があり、ニューボーンフォト、授乳フォトをはじめ、バースデー、お宮参り、七五三など、お子さんの成長に寄り添った出張撮影が人気で、これまでに5,000組以上のご家族撮影を行っている。 個人撮影の他、ベネッセ「こどもちゃれんじ」等の教育誌や、「あんふぁん」等ママ向け媒体での広告や表紙撮影、カルチャースクールでのカメラレッスン等、広く活動している。

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お母さんたちの声

  • 新しくなったばかりの当院で出産。
    宮本さん

    2019年10月、当時リニューアルオープンしたばかりの当院で、初めてのお子さん(男の子)を出産した宮本さん。「まるで自宅のように居心地がよかった」という個室での過ごし方、また産後に利用した子育て相談室などについて、お話をうかがいました。

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  • 2人目、3人目を当院で出産。
    椎名さん

    第一子(長女)を別の病院で出産、その後2016年11月に長男、2020年2月に次男を、それぞれ当院で出産した椎名さん。2人目のお子さんから病院を変えた理由、そして当院のリニューアル後、3人目も引き続きここで産むことを決めた理由とは?

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当院の本サイトにて
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